09 Jun
09Jun

野口は 若い頃……ずっと独学で音楽を学んでいました。つまり、一人で誰も頼らず、ひたすら籠もって、音楽に打ち込んでいました。

当時は、良いポップスの指導書や作詞作曲の理論書などもあまりなく、孤軍奮闘でした。

しかし、ある程度、自分で出来るようになってから、先輩や当時出会った恩師のチョットした一言や、ヒントで、目からウロコが数限りなく剥がれ落ちました。

たとえば、二年かかって自分なりに見つけ出し、理解した作曲のノウハウが、その後もらった先輩の一言に、数分の会話に全て含まれていたりしたのです。

孤軍奮闘は、けっして無駄ではありませんでした……と信じています。でも、先輩の一言から、アドバイスが先にあったら、もっと先に進めていたかもしれないと……今でも思います。

野口は大学に入学するタイミング(20才の頃)から、音楽の学びを真面目に始めたので、音楽のスタートとしては奥手でした。
その後、集中に集中を重ねて、学び、実践をしたので、急成長し……(自分で言うのも何ですが(汗))……24才の時に、ヤマハさんに僕の作品や音楽性が認められ、エレクトーンの世界大会の審査員に抜擢されました。

楽譜がやっと書けるようになった若者も努力をすれば、世界の舞台で、自己表現が出来るのです。ちなみに、僕ともう一人、当時27才くらいの若者が、異例の審査員抜擢されました。それが、図を見ると分りますが、あの天才アレンジャーで早世した大村雅朗さんでした。彼もデビュー前、九州にいた若者でした。

話を戻します。野口は 先輩や恩師の言葉を吸収しながら、学ぶことの大切を心に刻んで、自分が学んだことは、全て、後輩に伝えていこうと誓ったのです。一人より二人! ちょっとした発言や会話で、先輩の経験値や恩師のテクニックの多くが、僕のモノになったのです。僕は、一人でやっていましたが、もう一人のプライスレスな言葉が、僕を劇的に成長させてくれました。

今、作詞や作曲を始めようという方は、一人より二人! そのもう一人に 僕が立候補します。
今、ずっと一人でやって来たアーティストの皆さん、10年もやって来たから、今さら人に聞けるかっ! と言わないでください。僕は、あなたのジョージ・マーティンになれるかもしれません。

野口の宅レッスンは、事実や決まり事、理論を、ただ伝える時間ではなく、 一人より太りの精神で、 貴重な時間を共有する レッスンなのです。
どうぞ よろしくお願いいたします。

野口義修

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